PL学園高校は『スポーツ名門校』として全国的な知名度を誇りましたが、近年生徒数が激減し廃校の危機と噂されています!
「PL学園の生徒数が激減した理由はなぜ?」
「全盛期から生徒数はどのように推移していった?」
「野球部は今後復活するの?再建の見通しは?」
など、気になっている方も多いですよね。
そこで今回は以下の内容で記事をまとめたので、ぜひ最後までご覧ください!
▶【PL学園高校】生徒数が激減した理由
▶【PL学園高校】生徒数の全盛期からの推移
▶【PL学園高校】野球部復活や学校再建への見込み
【PL学園高校】生徒数が激減した理由
さっそく、「PL学園高校」の生徒数が激減した理由について見ていきましょう!
1.野球部の不祥事・休部
2.PL教団信者の減少と経営危機
3.少子化・入学希望者の減少
4.学校への信頼・環境問題
これらの要因が重なり、2025年時点でPL学園高校の生徒数は全学年を合わせてもわずか39人となるなど、深刻な状況に陥っています。
ここからそれぞれについて詳しく解説していきます!
1.野球部の不祥事・休部
PL学園野球部は、2000年代以降に複数の暴力事件(いじめや集団暴行など)や体罰が続発し、大きな社会問題となりました。
▶2013年 集団暴行事件(いじめ)
複数の2年生部員が1年生部員に対し、横たわった状態の腹部に膝から落ちるなどの暴力を寮内で繰り返し、被害部員は救急搬送される騒ぎに。
この事件は計画的ないじめであり、一歩間違えれば死亡事故の危険もありました。
日本学生野球協会は対外試合6か月禁止処分を科し、後に全国高等学校野球選手権大会への出場も断念。
▶2011年 部内暴力による対外試合1か月禁止処分
野球部内で複数の部員が同級生に対し暴力をふるう事件が発覚。
また、一部部員の喫煙も同時に判明しました。
当時、監督を務めていた河野有道氏(2008年に監督へ復帰)は、「厳粛に受け止める」とコメントし、部内で再発防止を徹底する意向を示しました。
▶2008年 監督による生徒への暴力と監督交代
当時の監督であった藤原弘介氏が、部員に対し暴力をふるう事件が発覚しました。
この暴力事件の責任を取る形で藤原監督は即座に辞任し、前任者の河野有道氏が再び監督に復帰しています。
▶2001年 パイプ椅子暴行事件
2年生部員が上級生からパイプ椅子で殴られたり、頭髪をバリカンで刈られるといった暴行を受けたとして損害賠償訴訟に発展。
この事件も、高野連への報告遅れ・隠蔽と受け取られたことから世間の信頼を大きく失った。
このように、かつて全国屈指の強豪であった硬式野球部が不祥事や内部トラブルを繰り返し、2016年夏以降は休部状態となり、学校の知名度や魅力が大きく損なわれました。
2.PL教団信者の減少と経営危機
PL学園高校の生徒数が激減した大きな理由のひとつが、運営母体であるPL教団の信者数減少と財政危機です。
このように、生徒の大半が教団信者およびその家族で占められていたため、信者数の減少→生徒数の減少に直結しています。
3.少子化・入学希望者の減少
PL学園高校の生徒数が激減した理由のひとつが、日本全体の少子化と、それに伴う入学希望者の大幅な減少です。
▶全国的な少子化の影響
日本全体で出生率が長期にわたり低下し、高校生人口自体が減少。
そのため多くの私立高校が定員割れや生徒数減少に直面しています。
PL学園もその流れに飲み込まれ、生徒確保が困難になりました。
▶教育市場の競争激化
少子化により他校との生徒獲得競争が激化し、進学実績や部活動などで強みを持たないと希望者が集まりにくい状況です。
かつての「野球名門校」としての価値低下もあり、PL学園を選ぶ受験生が減少しました。
▶地域人口の減少
PL学園の所在する地域自体も人口減少に見舞われており、地元からの入学希望者が年々減っています。
▶進学先の多様化・特色化
進学希望者の学校選びが多様化する中、PL学園は野球や宗教色を背景にした独自性を武器にしていましたが、不祥事や体制の変化によってむしろ敬遠される要因ともなりました。
このように、少子化と入学希望者の減少、さらに教育市場の構造的な変化がPL学園高校の生徒数激減に大きく影響しています。
4.学校への信頼・環境問題
「PL学園高校」の生徒数が激減した理由として「学校への信頼低下」と「環境問題」が大きく影響しています。
こうした「信頼低下」と「環境問題」が複合的に作用し、「安全で安定した学びの場」という基本的な学校の価値が失われ、生徒数減少に直結しています。
【PL学園高校】生徒数の全盛期からの推移
PL学園高校の生徒数は、全盛期の約40年前から現在までで劇的に減少しています。
推移の代表的な数字を以下でまとめました。
1980年代の黄金期には高校だけで約1,000人を超える大規模校でした。
2025年には高校全体で39人、中学校も35人のみとなり、存続が非常に厳しい危機的状況となっています。
PL学園高校の有名なOB(卒業生)は?
PL学園高校の有名なOB(卒業生)には、プロ野球界を中心に数多くの著名人がいます。
特に硬式野球部出身者は、全国的なスターやNPB/MLBで活躍した選手を多数輩出しています。
桑田真澄(元読売ジャイアンツ投手、現指導者)
清原和博(元西武ライオンズ・読売ジャイアンツ内野手)
立浪和義(元中日ドラゴンズ内野手・現同球団監督)
松井稼頭央(元西武ライオンズ・メッツほか内野手、現監督)
前田健太(現デトロイト・タイガース投手)
片岡篤史(元日本ハム・阪神内野手、野球解説者)
宮本慎也(元ヤクルトスワローズ内野手、五輪代表)
今江敏晃(元千葉ロッテマリーンズ内野手)
小早川毅彦(元広島東洋カープ・ヤクルトスワローズ内野手)
この他にもNPB選手・指導者として活躍した選手が70名以上おり、「PL学園野球部カルテット」などと呼ばれた黄金世代も存在しました。
このようにPL学園高校のOBの顔ぶれは、昭和〜平成期の高校野球の歴史にも名を刻むレジェンド級が多いことが特徴です。
【PL学園高校】野球部復活や学校再建への見込み
まず、PL学園高校の野球部復活は極めて困難で、現実的には厳しい状況と言えます。
・野球部は2016年の活動停止・2017年の高野連脱退以降、再開や公式戦復帰は実現せず、2023年は新入生1人が入部したものの、チーム運営には到底足りていない。
・野球部復活には「PL教団の受験資格緩和」や「新たな生徒の確保」が不可欠だが、改革は進んでおらず実現には至っていない。
・桑田真澄らOBが学校再建・野球部復活への支援や希望の声を上げ続けているが、現状は学校存続そのものが最優先課題となっている。
このように、「野球部復活」の声や希望は根強くありますが、最優先事項は学校存続であり、近い将来の野球部復活は事実上「非常に難しい」状況です。
学校再建への見込みは?
2025年現在、PL学園高校の学校再建への見込みは極めて厳しい状況にあります。
8/1 ※ 🎆 PL花火 教祖祭PL花火芸術
— ぽいずん🫛だもん (@3_chou_en_hoshi) August 1, 2025
( ※ 2019年 を最後に 開催中止 )
毎年 8/1 開催の 夏の風物詩
でしたので 残念です… 😢
⚾ #高校野球 の 強豪校 だった
🏫 PL学園 の 生徒数が 今や
わずか 39名 って… 😧 #花火大会2025 pic.twitter.com/Nxdu4NWHVD
「学校再建」には、受験資格の緩和や生徒募集の拡大、現代的な教育内容の導入、地域やOBとの連携強化、施設や環境の整備など抜本的な見直しが不可欠とされていますが、教団側の大きな方針転換や財政支援がない限り、具体的な再建の道筋は見えていません。
まとめ
今回は『PL学園の生徒数が激減したのはなぜ?全盛期からの推移は?』について紹介しました。
▶【PL学園高校】生徒数が激減した理由
1.野球部の不祥事・休部
2.PL教団信者の減少と経営危機
3.少子化・入学希望者の減少
4.学校への信頼・環境問題
▶【PL学園高校】生徒数の全盛期からの推移
1980年代の黄金期には高校だけで約1,000人を超える大規模校でした。
2025年には高校全体で39人、中学校も35人のみとなり、存続が非常に厳しい危機的状況となっています。
▶【PL学園高校】野球部復活や学校再建への見込み
2025年8月時点でのPL学園高校の「野球部復活」「学校再建」については、両方とも極めて厳しい状況です。
最後までご覧いただきありがとうございました!